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スティーブンの失政により、1138年にモードの庶兄グロスター伯ロバートが叛旗をひるがえし、ウィンチェスター司教ヘンリーも教会への干渉に反対し、支持を取り消した。1139年、モードは支持勢力を引き連れてイングランドに上陸し、グロスター伯ロバートと合流した。1141年2月にリンカーン近辺で両軍は激突し、スティーブンは敗れて捕虜となった。モードはロンドンに入り、「イングランド人の女主人」(Lady of the English)と称した。しかし、彼女の高慢な態度は反感を呼び、間もなくオックスフォードに撤退を余儀なくされた。一方、スティーブンの妻マティルドは傭兵隊を率いて抗戦を続け、1142年9月にウィンチェスター近辺の戦いでグロスター伯ロバートを捕虜にした。このため捕虜交換が行われ、スティーブンは王位に戻った。モードはオックスフォード城で包囲されたが、雪の中を密かに脱出した。この脱出行は後に伝説となった。
その後、戦いはだらだらと続けられたが、1147年にグロスター伯ロバートが亡くなると、モードはアンジューへ帰った。一方、夫のジョフロワはノルマンディー攻略に専念し、1144年にノルマンディー公を称したが、1151年に熱病にかかって間もなく死亡した。この内戦でジョフロワは一度もイングランドへ行っていない。
この内戦によりイングランドは無政府状態となり、「アングロサクソン年代記」ではこの期間を「キリストとその聖者たちが眠っていた」と評している。