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校倉造、屋根は寄棟造、瓦葺

校倉造、屋根は寄棟造、瓦葺。規模は正面約33.1メートル、奥行約9.3メートル、床下の柱の高さ約2.5メートルである。

建立時期は不明だが、光明皇后が夫聖武天皇の遺愛の品を大仏に奉献した756年(天平勝宝8)前後とみるのが通説である。759年(天平宝字3年)以降、宝物出納の記録が残っていることから、この年までに建立されていたことがわかる。当初の正倉院の建物構成についてはわかっておらず、記録によれば、平安末期には現存する宝庫1棟を残すのみであったらしい。

床下には10列×4列の柱を建て、その上に台輪(だいわ)と呼ぶ水平材を置く。この上に北倉と南倉は校木(あぜぎ)という断面三角形の材を20段重ねて壁体をつくり、校倉造とする。ただし、中倉のみは校倉造ではなく、柱と柱の間に厚板を落とし込んだ「板倉」で、構造が異なる。なぜ、中倉のみ構造が異なるのか、当初からこのような形式であったのかどうかについては、諸説ある。奈良時代の文書には、正倉院宝庫のことを「双倉」(そうそう、ならびくら)と称しているものがある。このことから、元来の正倉院は北側と南側の校倉部分のみが倉庫で、中倉にあたる中間部は、壁もなく床板も張らない吹き放しであったため「双倉」と呼ばれたとするのが通説である。
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校倉の利点として、湿度の高い時には木材が膨張して外部の湿気が入るのを防ぎ、逆に外気が乾燥している時は木材が収縮して材と材の間に隙間ができて風を通すので、倉庫内の環境を一定に保ち、物の保存に役立ったという説があった。しかし、実際には、重い屋根荷重がかかる校木が伸縮する余地はなく、この説は否定されている[1]。また、この工法はログハウスの丸太組み工法とほぼ同様であることから、『日本最古のログハウス』と称されることもある[要出典]。

現存する奈良時代の倉庫としてはもっとも規模が大きく、また、奈良時代の「正倉」の実態を伝える唯一の遺構として、建築史的にもきわめて価値の高いものである。

校倉造の宝庫は長年、宝物を守ってきたが、1952年に鉄筋コンクリート造の東宝庫、1962年には同じく鉄筋コンクリート造の西宝庫が完成し、翌1963年、宝物類はそちらへ移された。現在、宝物の大部分は西宝庫に収納、東宝庫には修理中の品や、西宝庫に収納スペースのない、大量の染織品が収納されている。勅封はこの宝庫に施されている。

国宝指定の経緯 [編集]
皇室用財産(宮内庁の各部局(長官官房、侍従職、書陵部、三の丸尚蔵館、京都事務所、正倉院事務所)が管理する国有財産)の一連の文化財は、「宮内庁による十分な「管理」が行われている」との宮内庁見解[2][3]にもとづき、文化財保護法による指定の対象外となっている。そのため、正倉院の建物や宝物も国宝・重要文化財等には一切指定されていなかった。しかし、「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産として登録されるにあたり、当該文化財が所在国の法律によって保護の対象となっていることが条件であることから[4]、正倉院の建物も、正倉院正倉として1997年5月19日、文化財保護法による国宝に指定された(国宝に指定されたのは宝庫の建物だけで、宝物類は指定されていない)。

聖語蔵 [編集]
正倉院の構内にはもう1棟、小型の校倉造倉庫が建ち、「聖語蔵(しょうごぞう)」と呼ばれている。これは東大寺尊勝院の経蔵を移築したもので、鎌倉時代の建物である。ここに収蔵されていた経巻類約5,000点は明治27年(1894年)に皇室に献納され、現在は他の宝物と同様に宮内庁正倉院事務所が管理している。

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2009年03月17日 12:41に投稿されたエントリーのページです。

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